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100.老子の「道徳経」の第一章の解説と説明

道可道、非常道。
<道は説明すると、本当の道と違ってしまいます。>
名可名、非常名。
<事物に名称を加えると、事物の本質と違ってしまいます。>
無,名天地之始、
<無いは、天地の始まりです。>
有,名萬物之母。
<有は、万事万物の母親です。>
故常無,欲以觀其妙、
<ですから常に無という気持を通して、宇宙の美妙(妙な美しさ)を見る。>
常有,欲以觀其徼。
<常に有と言う気持を通して、万事万物の美妙な変化を見ます。>
此兩者同出而異名。同謂之玄。
<無と有の両者は、名前は違いますが、玄妙(微妙)という名前の同じ物(紙一枚の両面)から出ています。>
玄之又玄、衆妙之門。
<玄妙の中に玄妙があり、これはすべて玄妙の門(源流、原点)です。>

説明:
瞑想の立場からみると、
ここの「故常無,欲以觀其妙」は、常に瞑想を通して、気功態になるときの微妙な良い気持を見守る事です。
ここの「常有,欲以觀其徼」は、万事万物の変化の規則(因果関係など)を見る事です。
ここの「此兩者同出而異名。同謂之玄」は、無と有のバランスをよくとり、混ぜて生きていくことです。
どちらか一つではバランスがくずれてしまいます。
ここの「玄之又玄、衆妙之門」は、常にバランスをよくとり、宇宙の本体(源流)と一体になりましょうということです。

朱剛気功話が100回目になり、記念に老子の「道徳経」の第一章を気功・瞑想の立場で説明しました。

98.八触に合わせた精神の変化

八触の状態を見守っていくと、性格、感情など精神状態が変わってきます。
この変化をまとめて「十功徳」と言います。
つまり「空、明、定、智、善心、柔軟、喜、楽、解脱、境界相応」です。
「十功徳」について、天台宗の祖師智者大師の「摩訶止観」第九巻に説明がありますが、
ここでは私の体験と考え方を合わせて説明していきます。
「空」:この空は物理的な感覚の空ではなく、意識と感情の空です。単純思考と純粋な気持ちのことです。
「明」:明るくさわやかな気持ちの事です。
「定」:穏やかで安定した落ち着いた精神状態です。
「智」:修業の方向性や人生観について迷いがない状態です。
   智は、物事を見る時に自分の見方が樹立していて、 自分の穏やかな気持ちにプラスになるかマイナス
       になるかと言う基準で対応します。
「善心」:人間が本来自然に持っている善の気持。
   人間はもともと慈愛や優しさなどの良い気持を持っています。
   孟子の言う「子供が井戸の側で遊ぶと誰も皆心配します」という気持。  
   瞑想すると心がもっと純粋になり優しくなります。蟻を見ても可愛く感じられます。
「柔軟」:練習すると欲望に対する執着心が少なくなり、視野や度量が広くなり、物事に対する柔軟性が出て
       きます。包容力が増してきます。これは丁度中国伝統の中庸思想と繋がります。
「喜」:世の中の物事に対する損得の気持ちが少なくなり、かわりに瞑想する時の穏やかな良い気持を強く感
       じます。
「楽」:気が発生すると体が楽になります。
「解脱」:我の意識が薄くなると、邪魔な感情が減少し身心ともに解脱される感じになります。
   例えば、喜怒哀楽の波のように動く感情や、名誉や利益のための活動などが瞑想により少なくなります。
   かわりに穏やかな良い気持が浸透してきます。
「境界相応」:以上の身心ともに良い変化を見守り、安定している状態です。

  
瞑想は、生理(体)と心理(心)の変化を同時に追求する事です。
30年前に気功が流行っていた時、懸命に練習する人は多いのですが、でも生理的な気の変化だけを重視する事
が多かったようです。
現在も再び瞑想が流行ってきていますが、でも気など生理的な変化はあまり追求せず、人格や道徳の事だけを
強調しています。これもまた誤りです。

およそ25年前に上海の呉先生は、「修業したら思う事や言語や行動もそのレベルになる」と言いました。
瞑想は体内の変化と気持の変化が一致しています。瞑想すればするほど優しくなり、落ち着きます。
「十功徳」はその事を細かく説明しています。
ご参考になれば幸いです。 

97.「八触」の対応

瞑想する時「動」「痒」「軽」「重」「涼」「暖」「粗」「滑」など、八種類の感触が出る事は大変良い事で 瞑想が深まって体質が改善しているという事です。でも、具体的に感覚により区別して対応する事が大切です。
例えば
「動」:体が大きく揺れて、極端になると止められないようになる現象
身体の中の気の動きにより、体が少しだけ揺れるのは良いのですが、大幅に激しく動くのは意識が内気に集中するからで、肉体に集中しているからで、一時的に動きは動功の補充としてはいいのですが、これを通して深い瞑想をすることはできないです。
この動きは、潜在意識で身体を動かしているので、感覚としては勝手に動いています。
その原因が分からないから、沢山の修行者が勝手に想像して執着してしまいます。
体が大きく動く時、実は内気は無くなってしまいます。ですから深く瞑想する為に身体はあまり動かさないようにコントロールして、少しの微動があっても無視して続けて内気を意識して集中する事です。
「痒」:表面の皮膚に蟻が走っている様な感じや、一か所か全身に掻痒があるとか、心が痒みを感じる様な落ち着かない状態など
・蟻が走っている様な感じの原因は、毛細血管が開いている為です。痒みが無くなると、皮膚がつるつる艶艶になります。痒みを我慢できない時は、掻かずに軽く叩くようにします。掻くと、気の流れが無くなります。
・一か所か全身に掻痒:極端になると潰瘍になります。これは気が皮膚の病層を通る反応です。あるいは内部の毒素を外に出している反応です。
・心が痒みを感じる:焦燥感が浮かんで発散していることが原因です。その時、我慢して続けて練習することが大事です。でも我慢できない時は動功でその感覚を抑えます。根本的には瞑想の良い気持でこの感覚を抑えて無くします。
「軽」:瞑想する時に軽くなる感じは、内気が上昇しているので、共に体が膨張して大きくなる感じがします。体が気泡のようになっているところに入息すると、さらに膨張感がします。これは良い感覚です。でも迷信や色々な想像はしてはいけません。ただ感覚を見守るだけでいいです。
「重」:これは反対に入息時に重いものに圧迫されて、同時に体が小さくなる感じです。
感覚が強くなると、背骨が圧迫され、真っ直ぐに伸ばせなくなります。その時は、暫く瞑想をやめて、身体を伸ばします。
「涼」:涼しい感覚は、腎臓の気が強化されることで、いいことですが、過ぎると寒く感じます。場合により氷のように感じます。これ腎臓が弱いのが原因です。
その時、丹田に暖かい気の塊があるようにイメージし、さらに定印を結びます。そうすると腎臓の機能が強くなります。
「暖」:暖かい感覚は健康に良いのですが、過ぎると焦燥感のように、焦って落ち着かない気持が強いのが原因です。ですから、気の感覚をきちんと掴み見守っていくと同時に時々動功も行います。 
  
「粗」:瞑想する時、一時的に皮膚がサメ肌のようにざらざらしている感じもあります。それは皮膚が弱いと、ストレスを発散する時の反応とも言えるでしょう。上記の「暖」と同じように対応すると良いでしょう。
「滑」:練習の良い結果です。

この「八触」後、針に刺されている様な感じや痙攣している様な感じがあります。それは気が弱い所に通っている反応です。そのような感覚があっても続けて見守っていれば無くなります。たまに練習する時、光や映像や空・無などの感覚が出てきますが、無視する方がいいです。「八触」の感覚が全部発生して体に気が満杯になっていたら光や映像に意識を集中する方がいいです。 そうではなく、安定力が弱いうちに光や映像に意識を集中すると色々な発想が出て来て、脳神経が再び緊張する可能性が高いです。  

以上は「八触」の感覚が出る時の対応法を簡単に説明しました。参考にして頂ければ幸いです。

96.「八触」発生の原因

「八触」発生の原因は、体内の緊張感が緩和され、気血の廻りが良くなり、毛細血管・細胞等の微循環が活発になることにあります。
その感覚について以下に説明します。

動く感覚:身体の内層がリラックスした後、外層のバランスを整えることが原因で感じられる感覚です。

             瞑想の状態でその感覚が強化されます。

痒い感覚:表面の皮膚のところの毛細血管が開き、感じる感覚です。

              一般的には、顔が先に痒くなり、後は全身に広がっていきます。

軽い感覚:気の感覚は、身体の中の緊張感が下から上に緩和されるので、

              気が上がるように感じられるため、身体が軽く感じられます。

重い感覚:肩こりや、首筋のこり等の症状が、気の動きにより、さらに強く感じられることが原因です。

涼しい感覚:腎臓の機能が強化され、全身の水の廻りが良くなることが原因です。

暖かい感覚:気功態になり全身がリラックスした後、気血の廻りが良くなり、血流が改善されることが原因です。

粗い感覚:皮膚の表面が粗くなる原因は、体内の毒素が皮膚表面から出ていくことが原因です。
       身体が硬くなる(身体が緊張する)のは、リラックスへの過程です。

             練習はリラックスへの道のりですが、でも波があります。

滑らかな感覚:粗い感覚の良い結果です。

針に刺される様な感覚も時には出てきます。これは、気が痛い所(以前に痛みの有ったところ)を通る時の感じです。

弱い痙攣の感覚は、局部の緊張がリラックスする時の感覚です。

軽い電気が走るような感覚は、リラックスする時の神経に刺激が当たった感覚です。

大きくなる感覚は、身体の中から外側にリラックスしていくことが原因です。

小さくなる感覚は、肩こりなどの感覚が練習中に強化され強く感じられることが原因です。

その他の感覚、たとえば空や無の感覚、光や景色が見えるような感覚などはなるべく無視して下さい。
これらの感覚の原因は追って説明します。

93.瞑想についての随想

芸術、哲学、宗教、気功、瞑想などは、みな以下の元素<事物、肉体、意識、感情、欲望、我、空無>とかかわります。
それぞれの専門家になる為には、以上の元素の組み合わされた迷宮に入り、大変な苦労の末に抜け出し、超越しなければなりません。
それにより本物の専門家になります。
実は、私達普通の人間でも、この迷宮の中で、諸々の苦労を得て、体変な体験をして、乗り越えた方が良い人間に成長するのです。
「艱難辛苦は汝を玉にす」ということわざのとおりです。
では、人生の悩みや苦労をとおして、禅と瞑想の真髄を追求しましょう。

90.悟りについて

穏やかになった時の良い気持を感じて、そしてその感覚を追求するか、維持するかを人生の目標にして、
人生観にすることが悟りということです。

つまりポイントは三つです。
1.穏やかになった時の良い気持を体験すること。
2.その気持ちを持っていれば、人生が円満で幸せという認識をすること。
3.その感覚を追求することを人生の目標にすること、つまり人生観にすること。

悟りの境地に至る為には、正しい認識と練習が必要です。

正しい認識と言うのは、物事にあまりこだわらないで、視野と度量を広げ、包容心を育てることです。
あるいは、余分な欲を捨てて、我のかわりに他人を助けてあげると言う気持を持つことです。
以上の気持を持つと、良い気持が自然に出てきます。

正しい認識を持つと同時に、正しい練習も必要です。
正しい練習と言うのは、穏やかになった時の良い気持が現れる為の練習です。
練習の時、どのような感覚があっても、迷わずに以上の目標にむかって練習することです。

人間は肉体がある限り、欲があり我があります。これは本能の一部とも言えるでしょう。
これらの本能が、初めは正しい認識と正しい練習の邪魔になります。
ですから、信念・意志・良い先生・仲間等が必要です。

正しい認識と練習がきちんと樹立すれば、私欲・我とうまく融合していきます。
私欲・我があっても、根本の穏やかな気持ちには動揺はないのです。
また穏やかな気持ちがあっても、私欲・我は薄くなっていますが無くなっているわけではないのです。
両方をうまく融合することが、本当の悟りで、分かり易く言うと、大乗の悟りとも言えるでしょう。

悟りの境地になっても、修業は続けなくてはなりません。
というのは、人間は変わり易く、怠け心もあるからです。
一時的に良い境地になって悟りになっても、戻る可能性はあります。
ですから練習は一生続けるべきです。勿論この練習は、苦ではなく楽しいものです。

89.気功とレイキ

ある人が外気功施術を求めて来ました。
自分の現在の症状を説明した後に、「半年前にレイキを習い、他人にだいぶ施術をした後、自分に症状が出てしまいましたが、
なにか関係がありますか?」といわれました。
この話を機会に、気功とレイキの関係について少し話したいと思います。
レイキは手当で施術と言う事であり、アメリカから日本に来て流行りました。
もともとは日本の霊気がアメリカに伝わり、アメリカから日本に戻る時にカタカナになり、レイキと呼ばれています。
レイキの気は気功の気と同じもので、別々のエネルギーではないです。
違うところは、理念、考え方です。
レイキは、気を感じたらすぐ施術をすることを重視しますが、気功はまず自分の練習を重視します。
自分の心身両方の健康が大事で、その後、元気になってから他人に施術するものと考えます。
気功からみると、少しだけ訓練して手当で施術することは勿論出来ますが、訓練しなくても気持さえ有れば場合により相手の患部に手をかざせば治ることもあります。
昔、赤ちゃんが泣く時にお母さんが手をかざせば治ることがありました。
治る原因は、人間はみな気を持っていて、身体の外側にあふれていて、身体の周りに有りるからです。
身体の周りの気は少し暗くすると見えます。指と指を合わせて動かすと間に白っぽい糸のような気が見えます。
両手のひらを近づけ動かすと、間に重いような気が感じられます。
でも、気功は体内の気をもっと活性化して、満杯になって、それで身心両方の健康を求めます。
外気施術はその後の事です。
以上の説明で参考になれば幸いです。

87.気功と癌

友人から電話があり「癌になってしまった。どうやって気功で治せますか」と聞かれました。
考えてみると、教室内に気功で癌を克服した例が続々と出てきます。
禅密気功の練習と外気は、比較的に有効な比率が高いのではないかと思います。
20年間のいろいろな経験をまとめてみると、癌を克服するのは、総合的な行為です。
練習の時間、練習の質、外気を受ける数などだけでなく、練習以外の生活環境、生活のリズム、習慣、性格などすべて関係があります。

できれば、なるべくイライラや緊張を緩和するように努力して、無駄な行動をカットし、穏やかに暮らし、充分休憩できるような健康的な生活習慣をつけて、物事にあまりこだわらにように、良い人生観を持つとよいでしょう。

癌の宣告を受けると、一方的に助けてほしいという気持は分かりますが、でも、ここで強調したいのは、自ら積極的に気功の生活、気功の生き方をすることが大事なことです。
そうすると、身体の中の意識と気持ちが段々健康な方向に動き、それにつれて、気・エネルギー・ホルモン・内分泌等がすべて良い方向に動き出します。

癌を克服するには、総合的な鍛錬が必要です。
まずは、気持の訓練・正しい認識からスタートします。

とりあえず、以上のことをお伝えしたくなり、記しました。

85.瞑想中の「入」と「離」

瞑想で大事なのは気功態に入る事です。
気功態になると五感と外部の交信があまり無いし、夢うつつのような状態で、でも眠気は無くとても良い気持です。
この状態は「入」といいます。

「離」というのは、気持が普通の世界の繋がりから抜け出して、大きな喜怒哀楽が無くなります。
その「離」の感覚は説明しにくいですが、常に瞑想の練習をしている人は分かります。

「離」には二つの状態があります。
一つは、社会と接触する事が嫌になり、物事を見ると俗っぽく感じて、好きな事は瞑想の練習だけになる状態。
もう一つは、どんなことがあっても気にせず、楽しく、仲良く、上手に社会と融合する状態です。

一番目の状態になったら、この状態は良くないと分かって、やり直すように努力して下さい。
一番目と二番目の状態は波のように交代で出てきますが、基本的には練習すればするほど、
二番目の状態が長く出るようになります。

そうすると欲が薄くなってきます。
薄くなってくると、人生がつまらなくなるのではなく、楽しみがあるから欲が薄くなるので、
人生はより楽しくなります。そうすると、自然に優しくて親切な気持が増えてきます。
全体の人格、人生観が向上します。

昔は瞑想する前に先ず、戒律を守ると言う事からスタートしました。
欲を捨てる、世間から離れるなど、厳しく要求されました。
これは先ず「離」になってから「入」に入る事です。

それは練習には良い事ですが、現代人には厳しすぎると思います。
代わりに練習を通して、瞑想の中の楽しみを掴むと、自然に一般社会に対する欲が薄くなってきます。
「離」は社会から離れる事ではなくて、「入」はこもって瞑想する事ではなく、気持の事を指しているのです。
社会に対しての激しい感情や欲が薄くなり、同時に穏やかな楽しい気持が溢れて来る事は「離」と「入」という事です。

これは「入」になると同時に「離」になると言う事です。

ですので、瞑想の楽しみを探して見守る事が大切です。

83.瞑想のプロセス

25年間皆さんと一緒に練習して来て、現代人に合う簡潔明瞭な瞑想のプロセスが明らかになってきたように思います。

1.瞑想の目標
瞑想は、身体と精神状態がリラックスして、良い状態になる事です。
練習すればするほど、身体の疲れが取れて、体力が増え、血液の流れが良くなってきます。同時に緊張感がとれて、活き活きした気持が現れ、楽しく過ごすことが出来ます。
心身両方この状態になると体質が改善され、大変な病気でも場合によってビックリするほど癒す効果があります。この状態になると、良い雰囲気が周りに伝わり、そして倍に返してもらえます。そうすると、人間関係が良くなり、自然との関係も良くなります。
瞑想は人生が楽しくなる良い方法です。

2.瞑想の二つのポイント(二つの遮断)
瞑想の方法は沢山ありますが、まとめてみると、二つの遮断という事です。
一つは、五感を通して、外部の物事との接触を遮断することです。
この遮断によって、身心が元の状態にもどって、毛細血管など微循環が良くなり、気が活発になり、同時に気持が穏やかになり楽しくなります。
この状態がだいぶできましたら、二番目の遮断になります。それは、五感が外部の物事と接触すると同時に、穏やかな気持ちを守っていくことです。
というのは、物事に気持が影響されないで、物事の刺激を受けずに遮断する事です。
二つの遮断は、小乗と大乗とも言えますし、狭い意味の練習とも広い意味の練習とも言えます。

3.瞑想の四つの段階
一段階目は入る段階:現実の感覚を破って、虚の感覚に入る段階です。
第二段階は中に居る段階:気の豊富な感覚の中にもっと穏やかな感覚を探すことです。
第三段階は出る段階:第二段階で得た物を、現実社会で磨きます。
第四段階は融合する段階:これは第三段階の練習を通した良い結果です。

4.瞑想の五つの要素
瞑想には五つの要素が有ります。これは、身、気、光、意、心の事です。
瞑想すればするほど、この五つの要素が良い方向に変化してきます。
五つの要素の変化により、瞑想の進む道が明確になります。
具体的に身体の変化、気の変化、光の変化、意念の変化、気持の変化により目標をつけて練習する事です。
明確な目標をつけて練習すると、安心でき、励みになります。
それは丁度、案内書を持って山に登るのと同じです。休憩所の位置や眺めの良い所が分かると、安心できるし、励みになります。

以上で瞑想のプロセスを分かりやすく、現代人に合うように説明しました。

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