気功態に入ると、外部社会の感覚(視覚・聴覚など)があまり無くなると同時に体内の色々な微妙な感覚が浮かんできます。
その時、微妙な感覚のどれかを見守っていくと、その感覚が強くなって広がります。
私たちは気の感覚に集中していくので、気の感覚が満杯になります。
朱剛気功話95.から98.で気の瞑想について説明してきましたが、今回はまとめます。
1.体全体が有るような無いような、風船のような、気泡のようになります
身体の存在感が有るようで無いような感覚になるのは、色々な原因により起こります。
例えば映画を夢中で視ていると自分の存在を忘れたり、また、物事を考えていて夢中になると自分の事を忘れていたり・・
また寝てしまうと体の感覚は無くなります。
でもここで強調したいのは、気の感覚が広がると同時に身体の存在感が無くなると言う事です。
その時、身体の存在感が有るようで無いようになるだけでなく、全体の社会も有るようで無いような感じになります。
2.疾病の改善や完治、体質の改善
病気になる大きな原因の一つは、長年の間、身心ともに緊張を続けて維持している状態です。
気の瞑想法を行うと、つまり気の練習のプロセスを展開していくと、身心ともにリラックスする状態になります。
気の瞑想法を練習すればするほど身心ともにリラックスします。
気の感覚が充実するという事は、全身の毛細血管が開き、細胞の活動が活発になり、微循環が良くなります。
瞑想はすべての病気を治せるということではないですが、瞑想で病気が無くなると言う不思議な実例が昔から今まで沢山
あります。その細かい原因については、まだ探索の余地がありますが、でも事実としては否定できないでしょう。
瞑想・座禅は宗教の修業には大事なことです。仏教・道教両方共に座禅を通して、病気を治し、体質を改善する効果が有る
のは良く分かりますが、宗教の教義が原因で、あまり宣伝しないか強調しないということもあります。
昔、気功が流行った時に座禅で元気になることが宣伝されましたが、言いすぎてオーバーになることもありました。
瞑想・座禅で身体が良くなることは、科学界も認めていますが、でも深い研究にはまだ至っていません。
中国でも日本でも、高齢化社会になっていますので、座禅で身体を養うことが重要になるでしょう。
3.気持の柔軟性、善良、柔和、寛容
身体と心はお互いに影響しあっています。体がリラックスすると気持も楽になります。
気の感覚を意守(見守る)すると、心も身体も楽になります。
心が楽になると物事への感覚が変わります。
緊張している時は意識していない道端の草や樹木が活き活きして美しく感じられ、動物や昆虫までも可愛らしく感じられます。
同情心も増して他人の立場や考え方も理解できるようになります。
善の気持が出て来ると、良い循環になり、良い友がますます増えてきます。
4.人生観の変化
健康になるかどうかの基準で物事を考えるようになります。
瞑想・座禅には智慧という言葉があります。
この智慧は、豊富な知識と言う意味ではなく、穏やかな気持ちで物事を見ると言う意味です。
体が有る限り欲求があります。歳を経る毎にこの欲求は大きくなり強くなります。
物事を見る時、強い欲求に影響され、執着心が増し、苦しくなります。
智慧は瞑想を通して養われ、執着心が薄くなり、穏やかな気持ちで物事を考えられるようになります。
ですから、瞑想すると良い人生観・世界観になります。
5.動態:安定と不足
気の瞑想が良くできた時に身体の存在感が薄くなり気泡のようになります。
その現象は一時的ではなく、暫くの間安定して持続しています。
その間に気の感覚が余り無いとか、気持が揺れて動揺する事もありますが、全体的には以上の状態は安定しています。
人は日々生きていて世界もまた変わっているので、気の瞑想の状態も動いています。
表面的には喜怒哀楽による乱れがあり、意識も散漫になることもありますが、根本的には気持が穏やかになり落ち着いて
います。
ただこの段階の安定力は足りないところもあり、外部の刺激軋轢が強い時は、安定した状態がこわれて前の状態に戻って
しまうこともあります。また、安定力の深さが足りないところもあります。
心の中のマイナスエネルギーは、かなり消されていますが心の中の深い所にはまだ少し残っています。
つまり、潜在意識の中にマイナスの思想や感情や心理的な疾病の根本が残っています。
ですから次の段階・光の瞑想が必要になります。
以上で気の瞑想の段階のポイントをまとめて説明しました。参考にして頂けると幸いです。
最近のコメント