気感

95. 気の感覚ーー「八触」

「八触」というのは、気が発生する時に感じられる八種類の感覚です。
瞑想で「持身法」の感覚がでてきたら、それを続けて見守っていくと体内に気が動くような感覚があって、
身体があるようでないような感覚になって、それを続けていくと「八触」という感覚が出てきます。

この八種類の感覚は「動」「痒」「軽」「重」「涼」「暖」「粗」「滑」です。
「動」は体内の気の動きの事です。
  この感覚が起きる時は肉体があるようでないようになっているので、気の動きも雲、煙、波のように動いています。
  この「動」は先ず局部から後は全身に広がっていきます。
「痒」は、皮膚の表面に蟻が走っている様な感覚です。場合によっては心まで痒いようになります。
「軽」は、身体が気泡のように膨らんで、体重がないように感じます。
「重」は、身体が山を背負っているように、圧迫される感覚です。
「涼」は、全身が心地よい水中にあって、涼しく感じます。
「暖」は、体内に暖かい感覚が局部から全身に広がる感じです。
  強く感じると、汗が出るくらいです。でもずっと気持は良いです。
「粗」は、一つは皮膚の表面がざらざらになるような感じです。
  もう一つは身体が硬直する感じです。
「滑」は、「粗」と反対で、一つの意味は皮膚の表面がすべすべとした感じです。
  もう一つは身体が柔らかくなる感じです。

「八触」というのは、上記のように大まかに八種類に分けた感覚以外にも感じるものもあります。
例えば、痙攣や、身体が大きくなったり小さくなるような感覚、身体が無くなるような感覚、光や物体が見えるような感覚等です。

気が発生すると以上のような感覚が出てきますので、参考にして下さい。

39.築基功の気感について

築基功を練習しても、なかなか気の感覚がつかめないということがしばしばありま
す。ここで、すこし説明します。

1.背骨の動いている動作に意識を集中しない。
動作に慣れていない人は、動く時、ほとんど動くことに意識がいってしまいます。
これは、車の運転の練習をする時に車の操作にばかり気がいってしまうと、他の
注意するべきことが疎かになってしまうのと同じです。動作のことにばかり意識を
集中しないようにします。しかし、初めて練習する時は、慣れていないので、どう
しても動作にばかり意識がいってしまいます。だから動作が上手に出来るように
なるまで練習し、そして慣れてくると、無意識に任せて動けるようになります。
それが、動作を意識しないでいることです。

2.背骨が動いている時の体の感覚に意識しない。
もしも、強い力を入れて動作が硬いと、体の感覚が強いので、気の感覚がなかなか
出て来ないです。スジや筋肉を鍛える、肩こりや腰痛を治す築基功の動作と、気を
感じる為の築基功の動作は違います。
前者は、大きく強く力を入れて、ゆっくり動かします。
後者は、力を入れないように、柔らかく円滑にまわしてゆっくり動かします。その時の
感覚は、背骨が自然に揺れていて、ふわふわ浮いているような、いい気持です。
そうなると、余裕が出て来て、揺れている背骨に合わせて、意念を動かすことが出
来ます。

3.意念を動かすことにも意識しない。
意念を動かすことが出来たら、その動かすこと自体も意識しないで、意念が動いて
いる時の気の感覚があるかないかを探しにいきます。
そうすると、やっと気の感覚があるようで、ないような感覚が出てきます。

4.築基功の気の感覚の段階については、会報第34号(2005.12)「築基功の気感」
を参照して下さい。

17.「奇景八触」について

気功話第9番「意念を通して気を感じる方法について」の中で「奇景八触」という言葉を使いました。その中で「ひたすら座ってなるべく何も考えずにいると、いつか体が大きく感じたり、小さく感じたり、暖かい、或いは涼しいと感じたり、軽い或いは重く感じるなど、さまざまな感じが出てきます。」と説明していますが、これは正しく言うと「奇景八触」の段階の一部の現象です。今回はもう少し詳しく「奇景八触」という現象について説明したいと思います。

練習を始める時は最初に下腹部の中に集中します。中国語では「意守丹田」といいます。
集中する事は決して容易ではありません。なぜならば五感を通して入ってくる外からの刺激と、体内から浮かんできた雑念と眠気からの刺激が、丹田に集中する事を邪魔するからです。それらを乗り越えて下腹部に集中すると、気持が徐々にほっとするように穏やかになって、顕在意識もあまり働かず静かになって、体の存在感が薄くなり、そして八種類の気の感覚が生じてきます。「動、痒、重、軽、涼、暖、滑、粗」という八種類です。更に体の感覚が薄くなると、この八種類の感覚がもっと薄くなっても、それらを敏感に感じられるようになります。ですのでそれらの感覚を十六種類に分ける考え方もあります。

「八触」の気感が出てくれば、全身の気は活性化します。気が活性化すると体内の気が自然に整えられます。その結果、五臓の機能が強化され、健康になります。活性化された気には五つの性質があります。「金、木、水、火、土」という性質です。活性化されると「金」という性質の気は肺臓に戻って、「木」は肝臓に、「水」は腎臓、「火」は心臓、「土」は脾臓にそれぞれ戻ります。それを「五気朝元」と言っています。

下腹部から活性化された気が全身に広がっていけば、頭まで気が一杯になり、脳の中の気が活性化されます。それは「三花聚頂」といいます。「三花聚頂」とは、体の中の三つの宝物「精、気、神」が頭に集まってくる現象です。「三花聚頂」になると脳のエネルギーが活性化され、脳の機能がもっと働くようになります。そうすると現象の一つとして、目を閉じていてもいろいろな光や景色が浮かんでくるようになります。その現象を「奇景」といいます。

下腹部(下丹田)に時間をかけて集中すると「八触」という現象が起こり、五臓の機能が強化され、体が丈夫になります。これは「命(肉体)」の訓練になります。気が頭まで一杯になれば、自然に意識が頭(上丹田)に集中してきます。そうすると光が浮かんできて、宇宙に浮遊しているような感じがしてきます。それは「奇景」という現象で「性(精神)」の訓練になります。あわせると「性命双修」になります。下腹部に意識を集中する訓練と、頭に意識を集中する訓練は、それぞれに特徴はありますが、「命」を修行する事と「性」を修行する事は、非常に関係があります。「命」と「性」、「下腹部」と「頭」は繋がっていますから、「命」の中に「性」もあり、「性」の中に「命」もあります。

劉漢文先生は下腹部(丹田、密処)と頭(天頂、慧中)を非常に重視しています。仏教あるいは密教は道教とは異なりますが、仏教系気功と道教系気功は、お互いに重なって、繋がっている部分がかなりあります。「奇景八触」という言葉は道教系気功の修行の中で結構使われています。この「奇景八触」という現象は、大まかに言うと「四禅八定」の中の初禅までの現象です。
この言葉を説明する事で、少し違った角度から気功の練習の現象を説明しました。皆さんの参考になればと思います。

16.四動功の気感について

「朱剛気功話」の第9番目で「意念を通して気を感じる方法」についてお話しましたが、今回は意念と気感だけではなく、動作も含めて四動功の気感について、もう少し詳しく述べてみたいと思います。初心者には役に立つと思います。

気感を得るためには音、色、味、感触などの刺激をなるべく受け取らないようにする事は基本です。築基功を練習する時、それらの刺激は少なくなると思いますが、体を動かしているので、動作からくる感覚は比較的強く感じると思います。ですから先ず第一歩は、体を動かす事から生じる感覚を少なくするようにしましょう。その為に劉先生は練習する時のポイントとして「円、緩、軽、柔」をあげています。

最初は基本の動作を覚えることから始め、次第に動作を意識しなくても、背骨の体操ができるようになるまで練習します。これはとても大事なことです。でないと何時までも動作の感覚が、イメージで意識(集中力)を動かす邪魔になるからです。意識しないで背骨の体操が出来るようになれば(「背骨を揺らす」から「背骨が揺れる」状態)、その段階から背骨が揺れる動作にあわせて、意識を動かすようにしていきます。

最初のうちは気が流れる感じがないのは当然と思って、イメージでいいですから、動作にあわせて意識(集中力)を動かす練習をします。例えば蛹動では、背骨の一つ一つに意識を廻しながら、背骨に沿って上げたり、下げたりしていくようにイメージします。
そのうち次第に「意識を動かす」から「意識が動いている」ような感覚になってきます。さらに練習を続ければ、他の刺激がもっと薄くなり、代わりに、あるようなないような気の流れの感覚が浮かんでくるはずです。これが気功態になっているという事です。

この状態では顕在意識はありますが、刺激が少ないのであまり活性化していません。例えば目覚める直前は寝ているような、意識があるような、夢うつつで、朦朧とした状態です(この状態ではリラックスしすぎると寝てしまうし、意識が覚醒すれば目が覚めます)。気功態とはこのような夢うつつで朦朧とした状態で、気の感覚もこの状態の中で感じる感覚です。

この段階で気の感覚が浮かんでこない場合は、雑念が多すぎる、或いは眠気がある、だいたいこの二つの事が邪魔をしている場合が多いです。気功の練習は殆どの場合はこの二つと戦うという事です。

15.「初禅」について

気功の入門の段階を乗り越えれば、次に本格的な練習に移ります。
本格的な練習の最初の段階は「初禅」といいます。本格的練習といっても初めは先ず気泡のような身体の感覚が出てくるまで練習して、その感覚が出てきたら続けて維持して、練習をそのまま続ければ、1日か1ヶ月か、或いは1年間かかるかもしれませんが、気泡のように存在が薄くなった身体の感触が動きだします。さまざまな感触が出てきますが、まとめると八種類に分けられます。「動、痒、重、軽、涼、暖、滑、粗」です。これは「八触」といいます。

「動」は体が気泡のようになったあと、続けて練習していると身体が動くように感じられます。しかし実際には動いていません。
「痒」は静かになった時、時々体内に虫が動いているような痒い感触です。
「重」は背中と頭に重い石がのっているような感じで体が重苦しくなります。時々、重い感じと共に身体が小さくなるような感じもおこります。
「軽」は静かに練習していると、自分の身体が段々と大きくなったり、存在感がなくなって空中に浮かんだりするような感じです。
「涼」は身体が涼しくなって、頭から涼しいエネルギーが流れてくる感じです。
「暖」は全身の温かい気が活発になって、気泡のような身体がぽかぽか暖まった感じになります。
「滑」は全身の皮膚に艶がでて、つるつるになります。
「粗」は全身の皮膚がざらざらになります。

八種類の感触といっても実際に練習すると他の感触もおこります。しかも同じ「動」でも感触の強さにより、さらに細かく種類を分ける事ができます。「八触」は同時にではなく、交互にあらわれます。

「八触」が起こると同時に十種類の感覚「十功徳(じゅうくどく)」が出てきます。
この十種類の感覚は「空、明、定、智、善、柔、喜、楽、解脱、境界相応」です。

「空」は内在の感触が現れる時、身体の存在感があるけれども無いように感じられて、同時に感情の揺れと雑念がほぼ無くなります。
「明」「空」になった時のよい気持です。
「定」は以上の気持が安定して、あまり動揺のない状態です。
「智」は瞑想の良さを体験してその良さを身に付ける事です。通常の生活の中で五感に受ける良い刺激よりもずっと良いという事が分ります。
「善」はこの良さを体験して身に付けたら、心が自然に優しく、慈愛深くなります。 
「柔」は瞑想の良さが分ったら、世の中の事に対して、執着の気持が薄くなって、物事に対して柔軟性が出てきます。
「喜」はやっと良い方法を見つけた事が分かって、生まれ変ったような喜びを感じます。
「楽」は体内の感覚が起こる時の良い気持です。
「解脱」は五蓋が無くなる事です。
「境界相応」ここでいう境界とはこの瞑想の段階でおきてくる内在の感触と感覚の事です。相応というのは気持が境界と一致していて、揺れが全くない事です。

以上の十種類の感覚をまとめて五つの感覚「五支(ごし)」、「尋、伺、喜、楽、定」とも言います。
「尋」(覚ともいう)は初めてこの瞑想の良さが分る事。或いは普通の生活で感じる良さと全く異なる事が分る事。
「伺」は練習中におきた微妙な感触と感覚を観察する事。
「喜」は人生が生まれ変わったように喜ぶ事。
「楽」は瞑想の時におきた感触と感覚の楽しさ。
「定」は煩悩が去って、心が静かで、安定しています。
「八触」は交互で現われますが、「十功徳」、或いは「五支」は同時に起こります。
「初禅」という瞑想の段階は以上の「八触」、「十功徳」或いは「五支」が全部含まれている段階です。「八触」の感覚が全部揃っていないと完全な「初禅」とはいえませんし、「八触」だけあって感覚がなければ「初禅」とは言えません。揃っていない場合は入門の四段階の第四段階目にいると考える事も出来ます。

「初禅」が出来るようになる事は容易ではありません。瞑想を続けていても、時には1年或いはそれ以上かかる可能性もありますし、一生到達出来ない場合もあるでしょう。たとえ「初禅」が出来るようになっても、元の段階に戻ってしまう事も結構あります。
「初禅」を修得すれば、物事にこだわらなくなります。名利欲、威張る気持、自己中心等の意識が薄くなり、他者への思いやりが深くなり、怒る事もあまりなくなります。
「初禅」を修得しているか否かは普通の生活の中の物事に対する優しさ、謙虚さ、安定さから判断ができます。修得できていれば、その雰囲気は自然と周囲に伝わります。
これで「初禅」を説明しました。これから練習しましょう。

9.意念を通して気を感じる方法について

気功の練習では気を流す事は大きなポイントですが、でも初心者にとってはそれが一番苦手な事でしょう。 まず練習の前には自信がありません。自分が気を感じられるとは想像がつかないので、どうやって気を流すのかと不安になっている人が多い事と思います。では気を感じる方法について少し説明しましょう。

意念と言う概念を先ず説明します。意念と言うものは意識の塊のような感じで、念力を使う時の感じです。意念そのものはエネルギーで、このエネルギーの特徴は他のエネルギーをコントロールできる事です。ですから気を動かす為には、まず意念を動かします。先に意念を体内で動かす事が、体内の気を流す事なのです 禅密気功では密処から天頂、天頂から密処、或いは尾てい骨から頚椎、頚椎から尾てい骨まで、意念を体内の一定の経路に沿って繰り返し動かします。先ずひたすら意念を動かして流します。 最初は意念を動かしているつもりでも、実際は集中力が弱くてそれほど動いてはいません。勿論、流れている感覚もあまりありません。それでも続けて流すように練習すると、少しずつ断続的に意念が移動している感覚が出てきます。

その時、それを「気かな」と意識すると意念が弱まり、感覚が消えてしまうので、考えないように、分析もしないで、続けて意念を動かします。そうすると徐々に断続から連続の感覚が感じられるようになって、しかも弱くてあるようでないような感覚から、はっきりとした感覚になってきます。そのはっきりとした、連続的に動いている感覚があれば、それは気が流れていると言う事です。

練習の際に注意しなければならない事は
1.練習の最初の段階では意念は集中力が足りないので、思うようにはなかなか動かせません。その段階で、言われたとおり練習しているのに、なぜ気が感じられないのかという不信感が湧いてきますが、動かしていると思っていても実際は、意念はまだあまり動いていないのです。勿論気もあまり感じられません。

2.意念は段々動かせるようになったけれども、気を流す事が分からないと言う場合が結構ありますが、それは気を流す事を正確に認識しておらず、気づいていないだけです。 実際はその意念の連続の流れている感覚こそが、気が流れていると言う事です。

3.初めて気の感じがあってもまだ弱いですから、分析し、確認すると感覚が消えてしまいます。ですから続けて練習して、分析、確認しない事です。

4.気の感じが未だ弱い時、あるようでないような時は、練習した後で頭がすっきりしても、気功態の感覚を思い出だすと、気があったのかなかったのか自信が持て無い事があります。 それは夢と同じです。浅い夢を見て目覚めた時、夢をみたかどうかはっきりしませんが、気感も同じです。 その場合、その気感を否定しないで前向きに積極的に練習を続けたほうが良いと思います これは初心者が練習の時に気を感じる方法ですが、それ以外にも方法はあります。例えば静功であれば、ひたすら座ってなるべく何も考えずにいると、いつか体が大きく感じたり、小さく感じたり、暖かい、或いは涼しいと感じたり、軽い或いは重く感じるなど、さまざまな感じが出てきます。昔はその感覚を「奇景八触」といいました。静功、或いは座禅も気感を得る方法の一つです。

以上、今回は意念を動かして、気感を得る方法を説明しました。

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