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119. 瞑想と悟り その①

「瞑想と悟り」  その①               

ここで言う悟りとは、瞑想を通して良い体験を得た後、自分の考え方や志が昇華することです。或いは年月をかけて常に瞑想すると、「天神合一」後、心境が変わる事です。

正しい瞑想は登山と似ていて、高く登れば登るほど、風景が美しくなります。山頂に着けば、眩しい雲海の中に、山峰が幾つも島のように浮かんで見えて、気持ちが和らいで、無心になり、純粋になります。この状態を長く続けていくと、自分の人生観や考え方が変化します。悟りというのは、雄大で美しい大自然に囲まれた時のように、認識や心境が変わる事です。

この認識の変化は、基本的には徐々に起こりますが、突然に感じる事もあります。突然に変化したと感じても、実際は長年の訓練の結果です。
突然の変化は瞑想している時に起こる事もありますし、日常生活の中で、刺激を受けて感じる事もあります。
この段階の瞑想というのは、わざわざ時間を取って座って瞑想する事だけではなく、日常生活も瞑想という事です。つまり常に気持ちの事を意識しています。
日常生活の中の刺激というのは、例えば、叩かれた時や、或いは何らかの刺激を受けた時などで、瞬間的に悟る事があります。
この突然の悟りは、飛躍的で、本質は感覚から離れて、非常に穏やかで落ち着いた気持ちを認識することです。

禅宗、「楞厳経(りょうごんきょう)」、密宗の中に、悟を開く例が沢山記録されています。
例の一つに、先生と弟子が山中の洞窟で練習していたある夜、名月が出ていて、大地が静かでした。その時、先生が弟子に「貴方はいつも最高レベルの瞑想求めていますね。今それを伝えるとしたら、その準備は出来ていますか?」と問いました。
弟子はそれを聞いて「長年望んでいたことがやっと実現します。」と喜び、心を整えて落ち着いてから「はい、準備が出来ました。」と答えました。
「ご覧、あれは何ですか?」と先生は名月を指さしました。「月です。」と弟子は答えました。すると先生は「もう伝えてあげました。」と言いました。

もし私達がこの話を聞くと、先生は冗談を言ってると思うでしょう。
しかし、弟子はすぐ分かりました。名月の下に山脈の尾根の輪郭が連なり、森林が広がり、大地が静かで、夜空が明るい景色の中にいると、非常に落ち着いて、リラックスした気持ちになっていました。その気持ちさえあれば、他に求めるものは何もないでしょう。ここでの大事で微妙な一歩は、良い景色と融合する時、自分の心の状態を見て、その穏やかな気持ちを重視することです。人生はその気持ちを持って過ごしていけば、最高だと分かる事です。

その弟子は今までに何度も名月の夜を見ていたのに、その時まで気づかなかったのは、景色のみに心が奪われていたからです。ですが、今、その時になり、突然、景色とは別の穏やかで落ち着く気持ちがある事に気づいたのです。
その時の体験はどのような言葉で説明してもかまいませんが、同時にどんなに説明してもしきれません。これは以心伝心なのです。

悟りを開いても、また、通常の生活に戻って、様々な事が起きても、修行の機会として、練習を続けなくてはなりません。
悟りを開いたら、物事に対しての考え方が異なってきます。ようするに人生観が変わります。名誉、損得、喜怒哀楽、などについては関心が少なくなって、代わりに穏やかな気持ちを守る事だけを一番大事にするようになります。それに従い、物事に対する態度が変わります。より優しく、平常心で人と接するようになります。

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