« 111. 瞑想、マインドフルネスと禅密気功 | トップページ | 113.「止」と「観」のプロセス(その1) »

112.会報第100号発行にあたって

今月号で会報は第100号になりました。第1号は1998年8月発行でした。
現在のような形式ではないですが、1993年から不定期で会報を発行しており、その期間を含めると、発行開始から今年で25年になります。

その間、社会の変化は激しく、私たちの気功にも様々な変化がありました。
まず、教室ですが、1992年、バイク便会社「セルート」高木社長のご好意で、2年間、無料で江戸川橋駅そばのTMKビルの一室を借りることができ、そこから正式な本部教室を始めることができました。そのおかげで教室の地盤が固まり、江戸川橋駅近辺を中心に教室を開き現在に至っています。

その間、禅密気功を勉強した人数は2千人を超えました。
練功を通して、様々な病が改善し、心身の健康に役立ってきました。
私たちの禅密気功は1999年まではメディアにも何度もとり上げられてきましたが、1999年、中国で大ブームだった気功が法輪功の事件で急激に下火になり、日本での
気功も大きな影響を受けました。

2004年、劉漢文先生と呉中先生が亡くなりましたが、私達は両先生の教えを引継ぎ、
瞑想の深いところを探索してきています。
劉先生の各功法を続けて練習すると同時に、2002年から瞑想会を行ってきました。
「気の瞑想」、「光の瞑想」に続き、来年は「心の瞑想」を行う予定です。

瞑想はかたちとしては静かに座るだけで、各流派の違いはないように見えますが、
実際には意念の使い方によって、内容が異なります。
超能力のためや霊界につながるためや、天国にいくため等、様々な流派がありますが、
私たちは「心身の健康のための瞑想」という理念を守っていきたいと思っています。

「気の瞑想」は、気が湧いてきて、身体を癒す良い効果があります。
「光の瞑想」は、心の深い傷や、精神の病を癒す良い効果があります。
「心の瞑想」は、そのまま穏やかな気持ちを見守る練習法で、性格や人格を高める良い効果があります。
私たちがこの方向で瞑想を続けていくことは、両先生も望んでいる事でしょう。
100号会報を発行するにあたり、今までの会報に掲載した気功や瞑想についての私の文章のタイトルを書きだしてみました。これらの文章を基に三冊の本を発行することができました。現在、瞑想をより深めることについて詳しく説明する4冊目の本もほぼ構想ができています。

ネットの普及により、人類の生活が大きく変化してきました。ネットと繋がる時間が長く、他の活動が少なくなり、気功や瞑想の良い健康法もだんだん練習する人が減少してきています。
現代では皆さんが忙しくなって、ストレスをためているので、だからこそ、今の時代、瞑想や気功がより必要になっています。
これからも皆さんと共に、練習を通してこの良い功法を守って広げていきましょう。

最後になりましたが、現在まで会報を続けてこられたのは、会員の皆様のご協力と
スタッフ達のおかげです。心より感謝いたします。今後とも宜しくお願い致します。

会報 過去記事タイトル一覧
http://www.zenkikou.com/disp1.cgi?zno=10001&&kno=004&&no=0006

« 111. 瞑想、マインドフルネスと禅密気功 | トップページ | 113.「止」と「観」のプロセス(その1) »

その他」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
朱剛先生に「気の瞑想」「光の瞑想」「心の瞑想」について質問したいと思います。
「気の瞑想」は「得気」に、「光の瞑想」は「観光」に相当すると私は理解しています。
この二つの瞑想に続く「心の瞑想」は「入空」に相当するのではないかと思うのですが、
そのような理解でよろしいでしょうか?

宏空さん

そうです。その通りです。
「入空」の「空」という意味は何もないということではなくて、心が安定になる状態です。

朱剛先生

ご返答、ありがとうございました。
以下に、先生の3冊のご著書と気功話を読んで、私が理解したところを少し述べたいと思います。

瞑想とは、本来「入空」のことであり、「空」とは「心の底」であります。
瞑想の目的は、「心の底」にたどり着くことであり、それが「帰真」の徹底であります。
仏教用語では、「涅槃寂静」や「寂滅為楽」などが、それに相当します。

「気の瞑想」(得気)と「光の瞑想」(観光)は「心の瞑想」(入空)の準備であると思います。
さまざまな功法を実践、工夫することによって、気を感じること(得気)と光を観ること(観光)を通して、意念を鍛えます。
意念がある程度強くならないと、「入空」は難しいと思います。

「心の瞑想」(入空)では、逆に、一切の功法を手放し、つまり、何もしないで、意念が「心の底」へと沈んでいくのにひたすら任せることであると理解しています。
「心の底」にどこまで近づけるか、あるいは、たどり着けるか、着けないかは、自分の努力(自力)を超えた恩寵(他力)の次元であると思います。

いつの日か、先生のご指導を直接受けたいと思っていますが、とりあえず、3冊のご著書と気功話を読み返しながら、自分なりに「得気」「観光」「入空」を実践、工夫して、「帰真」を目指していきます。また、先生の4冊目のご著書の出版を楽しみにしています。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 112.会報第100号発行にあたって:

« 111. 瞑想、マインドフルネスと禅密気功 | トップページ | 113.「止」と「観」のプロセス(その1) »

2021年7月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ