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105.「禅悦」と「無我」

座禅の愛好者から「禅悦」と「無我」の事について質問されましたので、述べてみたいと思います。

「禅悦」の直接の意味は、瞑想している時の良い気持ちの事で、
広い意味では瞑想していない時のリラックスしている気持ちも含まれています。

瞑想している時の良い気持ちは言葉で表現するのは難しいですが、
現実の感覚があまりないので、ふわふわと体が雲の上に浮かんでいる時のような良い気持ちです。

広い意味での瞑想していない時のリラックスしている気持ちを例えれば、
二度寝した後、森林を散歩する時のような気持ち、
あるいは、月夜の下、池の周りを散歩する時の気持ち――
要するに、緊張感がなくて完全にリラックスしている精神状態です。

「無我」も瞑想している時と瞑想していない時の二つの状態があります。
瞑想している時
①体の存在感が無くなることです。
これは先ず体内に気が生じて、充実して、肉体的な体の感覚が代わりに気の体の感覚になるという変化があります。
②光と一体になることです。
これは明かりや映像が現れて、それらを整えて、光と一体になるという過程があります。
③我という意識が薄くなることです。
或いは第7意識、魂ともいうものを安定させて、薄くして無くすことです。

瞑想していない時
無我という意味は物事にあまり執着しないので、あまり悩みがありません。
悩みがないとういう状態を別の言葉で説明すると穏やかで、落ち着いている楽な気持ちの事です。
上の禅悦での練習していない時の気持ちと同じです。

以上で「禅悦」と「無我」を、体験から説明しました。
皆さんも体験してみて下さい。

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