79.禅修(修行)と「空」
1.哲学としての「空」
この「空」は物事の認識論、あるいは人生観ともいえます。
というのは、
a)万事万物は因果(原因と結果)で組み合わせて出来あがっています。
b)万事万物が因果により変わっています。
これは、物事にこだわらない為の考え方です。
2.禅修(修業)としての「空」
a)日常生活において、なるべく、感情は物事と離れて、落ち着くようにさせます。
b)座禅をする時、物事の感覚を無くす方向にもっていきます。
そうすると、常に月夜の下、静かな森林などの境地に達します。
c)練習の結果として、優しい、慈愛、信頼できる、等の良い人間になります。
d)練習で得たこの良い人間性を、日常生活と融合して、維持させます。
3.哲学の「空」と禅修の「空」
哲学の「空」は人間の生き方の方向性を示しています。
人は怠け者ですから、正しい認識を持っていても、必ず従うわけではありません。
その為に、禅修が必要なのです。
哲学の「空」は、禅修の「空」を体験してから、感覚として理解できるものです。
哲学の「空」は、「慧」といいます。
禅修の「空」は、「定」といいます。
「定」「慧」と一緒に、練習(「定慧双修」)していきましょう。
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朱剛先生、
気功と修禅の第二弾で、今回は「空」について、実践し、生活する人の立場(哲学者や思想家などの頭で考える立場ではない)からの分かりやすいコメントだと思いました。
文末に、「定」「慧」と一緒に、練習(「定慧双修」)していきましょうーと有りましたが、一緒にとはどういう意味なのでしょうか。
「定」がある程度、習得できてこないと、なかなか「慧」は理解しにくいのではないかと思っていましたので、その点教えてください。
双修という心構えが大事だと言うことなのか、それとも練功の方法で双修になるよう気をつけなければならないことがあるのでしょうか。
k
投稿: k | 2014年8月 3日 (日) 11時54分
Kさん
質問頂き有り難うございました。
「定」は練習という意味で、「慧」は正しい考え方という事です。
双修というのは練習と正しい考え方の勉強の両方が必要だという事です。
それが「一緒に」、という意味です。
>「定」がある程度、習得できてこないと、なかなか「慧」は理解しにくいのではないかと思っていましたので、その点教えてください。
座禅の実際の練習と座禅の理論の勉強の関係は、泳ぐ事に例えて言うならば、泳ぎ方の練習と理論の関係ですので、練習しないと理論は理解できないし、理論がないと正しい練習もできません。
そういう関係です。
投稿: 朱剛 | 2014年8月 5日 (火) 16時45分
Kさん、
先ほどの続きです。
>双修という心構えが大事だと言うことなのか、
正しいです。
>それとも練功の方法で双修になるよう気をつけなければならないことがあるのでしょうか
これも正しいですが、上とは少し段階が違います。
練習の時に認識も必要ですが、最終的には練習と正しい認識は一体です。
投稿: 朱剛 | 2014年8月 5日 (火) 17時03分