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76.「気」の正しい認識

以前も説明したように2,500年前から「気」という文字が使われてきて、中国の伝統思想の一部になって来ました。
約60年前、気功という健身法が流行ってくると、「気」という思想が隆盛になりました。
ここで「気」という思想を説明していきたいと思います。
老子時代から「気」という思想は伝統の重要な一部です。

「気」はどこにでも存在しています。
万事万物のすべては、「気」の表現であり、「気」は万事万物の根本のエネルギーです。
荘子の「集まると形になり、分解すると「気」になる」という話は、万事万物と「気」の関係の良い説明です。
「気」の塊は、形になりますが、「気」自体は、見ても見えないし、触っても感じないし、聞いても聞こえないです。
以上の説明は、現代人としては理解しやすいです。なぜなら、科学技術が発達して、分子・原子・電子…素粒子という知識が普及してきたからです。
伝統的な「気」という概念は、科学で言う「素粒子」です。

「気」の概念から「気の変化」の思想が生まれます。
「気の変化」は、現代の言葉で言うと、宇宙の法則・自然の規律です。
人間は宇宙の中・自然の中の存在ですから、自然の規則に従って生きていれば良い人生になるのです。

この思想に従うと、道教系は、自然・無為・徳を積み、道に戻ると言う事を強調しています。
儒教系は、私利私欲を滅して、仁愛を養うと天理或いは本性が現れると言う事を強調しています。
仏教系は、因果関係と慈悲を強調しています。執着しなければ、人間本来持っている穏やかな気持ちが現れ、
それで万事万物と一体になり仏様になります。

ここの道、天理、仏様は言い換えると「気」という事ですね。
つまり、「気」および「気の変化」の思想は人間の生き方・人間性を鍛える事と繋がっています。

もう一つ「気」の意味が有ります。気功を練習する時の感覚の事を指しています。
これは現実の感覚と違って、特別な微妙な感覚です。夢うつつのような、気功態になる時の感覚です。
「奇景八触」はそれらの感覚をまとめたものです。
それは、リラックスしている時、緊張感がほぐれて来て、一番良い状態に戻る時の感覚です。

以上のように、伝統の思想の「気」と気功練習の時に感じる「気」は異なります。
伝統の思想の「気」は感じられないものなのです。
練習する時の「気」は感じられるし、追求するべきです。
練習する時の「気」を、伝統の「気」であると思ってしまうと、自分は無限の「気」を動かすことができるとか、
宇宙の支配人、偉い超能力者、特別なパワー・練習法を持っていると思ってしまいます。
自分の流派は特別なもので、自分は特別なパワーを持っていると思う人は、以上の二つの概念を混在させているということです。

二つの「気」の意味を良く理解して、両方を大事にしていくと、良い人生に繋がります。
練習の時の「気」を追求していくと練習の質が良くなります。
伝統の「気」及び「気の変化」を大事にしていくと人生のすべてが練功状態になるでしょう。
二つの関係は、丁度、小乗と大乗の関係に一致します。

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コメント

朱剛先生、
今回の「荘子の「集まると形になり、分解すると「気」になる」という話」ですが、チョット違うように思うのですが…
「気が集まれば生、散れば死」ではないでしょうか?
k

Kさん

深く考えていていいですね。

ご質問の「気」の意味は異なります。
荘子の言ってる「気」は、現在では「素粒子」という意味です。

>「気が集まれば生、散れば死」
この言葉の「気」は、生命のエネルギー(命を維持するのに必要なエネルギーです)という意味です。

私の一番目の「気」の意味は、死体でも気の集まりという「気」です。
もっと幅広く哲学的な意味になります。

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