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26.「無」と「空」

「無」「空」は練習の高い境地であり、練習の目標であると知られています。
「無」「空」の関係についてはあまり論じられていないので、ここで述べてみたいと思います。
「無」は練習する時、現実の感覚がなくなるという現象であり、「空」は持っている様々な感情が練習を通して無くなって、すっきりする状態を表しています。

1.「無」について
瞑想を深く行うと、現実の感覚(物理的な感覚)はなくなりますが、かわりに気の感覚、空中浮遊のような感覚が浮かんできます。これが「無」です。それは仙人のような気持ちといいますし、「禅悦」ともいいます。昔は仙人というのは、その境地を常に持っている人の事をいいました。
「無」を続けるといろいろな道に分かれます。超能力を望めばその方向の感覚が鋭くなります。癒す道を選べば気功師になります。そして「無」を見守り続けていく道もありますし、「無」の中に「空」の感覚を探す道もあります。
例えば現実社会で運動にはテニスやサッカー、水泳など様々な種目があるように、気の世界でも様々な道があります。
目的を明確にしないと気功の世界で迷って、道を見失う事が結構あります。

2.「空」について
瞑想を深く行うと現実の感覚がなくなる一方、感情も段々薄くなってなくなります。これが「空」です。人間は刺激を受ければ受けるほど感情が生じ、そしてその感情が積み重なります。積み重なっている感情は必ずしもストレスや落ち込んでいる感情だけではなく、嬉しいとか幸せな感情かもしれません。
この「感情が無くなる」というのはロボットのように無感情になるという事ではなく「月夜に、森の中、池の側をのんびりと散歩している」気持ちになる事です。引っかかるものは一つも無く、こだわらない気持ちの事です。ですので、感情が無いのではなく、却って活き活きとして、鮮やかな感情を持つようになります。

3.「無」と「空」の関係
仏教系修行者の目標は「空」ですが、基本は「無」を通して「空」になる事です。
何十年も生きているうちに人には積み重なった感情がかなりありますので、「無」という練習を通して、感情を発散します。残るのは薄い良い気持ちだけになります。その気持ちの中の落ち着いてリラックスした気持ちを探し続けていけば、「空」にたどり着きます。
「無」はまだ最高の境地ではないので、「空」を求めるから「無」の練習は必要ない、という人達もいますが、これは大間違いで結局「無」の境地にもいけませんし、口先だけに終ります。中国の宋時代以降、そういう人達が多くなり、「無」を通して「空」を求める人は少なくなりました。
本当の「空」を求める人達は「無」の練習を大事にするべきです。

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