109.瞑想中の火加減

瞑想は、神経に与える刺激を減らして、遮断するという過程を通して、心身ともにリラックスする訓練です。
刺激を減らす訓練は微妙な良い感覚に意識を集中する事により実現します。

人の意識と感情は非常に敏感で、環境により、外部の刺激により変化しています。
瞑想する時、意識と感情が動きやすくて、落ち着いて静かにすることが非常に難しいという事が分かります。
昔の修行者達は「心は猿、意識は馬(心猿意馬)」のように活発に動いていると言いました。
ですので、意念と心を整える事は「鎖心猿栓意馬」と言います。
猿のような心を鎖につなぎ、馬のような意念に栓をするという意味です。

瞑想ができるかできないかの大事なポイントは「鎖と栓」です。
この「鎖と栓」というのは、自分の感情と意識を微妙な感覚に集中していくことです。
瞑想の流派は沢山あるので、方法も沢山あります。
共通点は微妙な感覚に意識を集中する事です。

今回の文章で、もっとも強調する事は、微妙な感覚についても、「粗と細」があるという事です。
微妙な感覚に集中していくと、最初は雑念を減らして気持ちが良いですが、
段々と少し辛くなって、煩わしいようになってきます。

その原因は二つあります。
一つは体内にもっと微妙な感覚が浮かんでくること。
もう一つは、一つの感覚を長く見守っていくと、集中しずらくなるからです。
二つの原因は時々、別に浮かんできたり、時々、混じって起こったりりします。

集中しずらくなった時、以前の感覚に集中しないで、
もっと微妙な感覚に集中していかないといけません。
その前の感覚は「粗」といい、もっと微妙な感覚は「細」といいます。

ここの「粗」というのは集中すると少し辛くなります。
「細」というのは良い気持ちで集中できます。

「粗と細」は練習中に段々変わってきます。
最初の「細」が段々、「粗」になり、その時、代わりにもっと「細」の感覚を探さなければなりません。
続けて瞑想していくと、このもっと「細」の感覚も、「粗」になって、
そうすると、もっと「細」の感覚を探して集中します。

瞑想の過程はその繰り返しです。それも瞑想の火加減という事です。
私達の練習はおおまかにいうと、動作に集中する事から、気に集中する事に変え、
次は気に集中する事から光に集中する事に変え、次には意に集中する事に変えて、
心に集中する事に変えます。

瞑想しながら、火加減の事を体験しましょう。

108.「拙火定」の簡単な修行法

「拙火定」というのは密教系の全身が暖かくなる功法で、この功法の達人がこの功法を瞑想をして行うと、周囲3メートル四方の雪を解かすと言われています。
(実は上海の呉中先生の先生がこの現象を起こしたことがあると知られています)

現代人は運動が少なく、エアコンの中にいることが多いので、冷え症の人が多いです。
これから簡単な「拙火定」を紹介します。

先ずリラックスして真っすぐに座る事です。
足は蓮座ができれば一番良いですが、できなければ椅子に座っても良いです。
椅子に座る場合は、ももを少し座面からはみ出して、膝を肩幅よりも少し広く開いて下さい。
両足裏とお尻が三角になって、安定感を保っています。
腰を少し前に出し、あごを少し引いて、背骨を伸ばして体のバランスを取ります。
両手は手のひらを上にして重ね、右手は左手の上に置き、親指どうしは指先を軽く接触させます。
両手はおへそから指幅4本下の奥、丹田に向かって少し斜めに自分に向けます。
舌は上あごにつけます。

目を閉じて、丹田にろうそくのような小さな火があると想像します。
鼻で自然呼吸をしています。
吐く時は、鼻から空気を出すと同時に、喉から気を体の中心を通して、
ろうそくの火に送るように想像します。
吸うときは何も考えないでいいです。
吐く時に鼻から出す息と下に流す想像の気は違いますので、混乱しないようにして下さい。
これは逆式呼吸と言います。
気を送ると火が少し大きくなって、腹部が温かくなってきます。

この瞑想法を繰り返すと全身が温かくなって、汗が出てくることもあります。
初めは熱く感じてもいいですが、段々とこの熱さをコントロールして、
暖かいという感覚だけを保つようにすることが大事です。

この功法を練習する事により、腹部から全身の気のめぐりが良くなり、
内臓を強化することができるようになります。
冷え性に非常に効果がある功法です。
是非、試してみて下さい。

107.瞑想(禅、禅定)について考えてみましょう

瞑想(禅、禅定)について考えてみましょう。

1.瞑想(禅、禅定)の定義とは?
2.瞑想(禅、禅定)は仏教に固有のものですか?
3.禅宗の禅と瞑想(禅、禅定)はどういう関係ですか?
4.禅宗の「頓悟」と「漸修」の関係は?
5.瞑想(禅、禅定)の過程、段階、境地について?
6.入定(深い瞑想)の時、光や画像が見えますか?
7.入定(深い瞑想)の時、離体という現象を感じられますか?
8.離体とはどういうことですか。
9.瞑想(禅、禅定)する時は必ず座禅を組まないといけませんか?
10. 瞑想を修行する人の生活は普通の人の生活と違いますか?
11.瞑想(禅、禅定)と書物の関係は?
12.瞑想(禅、禅定)をするためには、世間から離れる事が必要ですか?
13. 世間から離れる事、世間に留まる事と、瞑想(禅、禅定)との関係は?
14.瞑想(禅、禅定)をするためには必ず仏教徒でなくてはならないですか?
15. 瞑想(禅、禅定)と仏法の関係は?
16.瞑想(禅、禅定)と儒教の関係とは?
17.瞑想(禅、禅定)と道教の関係とは?
18. 瞑想(禅、禅定)が中国の文化に与えた影響とは?
19.瞑想(禅、禅定)は心の病を治せますか?
20. 瞑想(禅、禅定)をすれば、心身ともに健康になれますか?
21.瞑想(禅、禅定)の質をどうすれば上げられますか?
22.瞑想(禅、禅定)における指導者(先生)の影響
23.瞑想(禅、禅定)を自分で練習することと、他の人達と一緒に練習する事の関係は?
24.瞑想(禅、禅定)の理論を理解することと熱心に練習する事の関係は?
25.瞑想(禅、禅定)の為の静かな環境と通常の生活との関係は?
26.瞑想(禅、禅定)をする為の良い性格と態度とは?
27.瞑想(禅、禅定)と慈愛、愛、との関係は?
28.瞑想(禅、禅定)と人間性の関係は?

沢山の質問を並べてみましたが、これらを一つずつ考えてみると瞑想に良い影響が出てくると思います。
一緒に練習しながら探索してみましょう。
 

 

 

106.「心の底の練習について」

瞑想を通して、段階を追って心の底(無我)にたどり着く方法は、漸修と言います。

瞑想を通して、直接、心の底を見守る方法は、禅宗の禅で、「心底法門」「頓悟」と言います。

禅宗の禅(瞑想)は、インドから中国に伝わってきた瞑想法(漸修)が、荘子の思想を取り入れて、直接心の底を見守る特徴的な瞑想法になりました。

同様に、インドの瞑想がチベットに渡り、禅宗の禅と似たような「大手印」と「大円満」(ゾクチェンともいう)になりました。
しかしながら、「大手印」と「大円満」(ゾクチェンともいう)は、心を見守る段階と境地を分けて説明しているので、現代人には禅宗の瞑想法と比べるとより合っていると思います。

直接穏やかな気持ちを見守る練習法(「大手印」と「大円満」(ゾクチェンともいう))は、
チベットでは最高レベルの練習法で、他の功法を練習してからでないと知ることは出来ないし、練習する前に様々な儀式があります。
でも現代社会ではその情報が公開されて、秘密があまり無くなり、心理学界をはじめとして、この功法を応用して精神疾患、人間関係の改善、思考力、決断力の向上などをはかり、幅広く、いろいろな分野で取り入れられています。
これらは様々な瞑想法として現在、大勢の人に受け入れられています。

実は座禅と瞑想は少し中身を理解すると同じ事です。
なおかつ、宗教と無関係で出来ます。
瞑想の目的により、宗教の瞑想法になってもいいし、関係なくてもかまいません。

私達が教室で勉強している瞑想法は、心身双方が健康になるための功法です。
身体を養う方法はいろいろありますが、瞑想もその中の効果のある良い方法です。

皆さんも一緒に体験してみましょう。

105.「禅悦」と「無我」

座禅の愛好者から「禅悦」と「無我」の事について質問されましたので、述べてみたいと思います。

「禅悦」の直接の意味は、瞑想している時の良い気持ちの事で、
広い意味では瞑想していない時のリラックスしている気持ちも含まれています。

瞑想している時の良い気持ちは言葉で表現するのは難しいですが、
現実の感覚があまりないので、ふわふわと体が雲の上に浮かんでいる時のような良い気持ちです。

広い意味での瞑想していない時のリラックスしている気持ちを例えれば、
二度寝した後、森林を散歩する時のような気持ち、
あるいは、月夜の下、池の周りを散歩する時の気持ち――
要するに、緊張感がなくて完全にリラックスしている精神状態です。

「無我」も瞑想している時と瞑想していない時の二つの状態があります。
瞑想している時
①体の存在感が無くなることです。
これは先ず体内に気が生じて、充実して、肉体的な体の感覚が代わりに気の体の感覚になるという変化があります。
②光と一体になることです。
これは明かりや映像が現れて、それらを整えて、光と一体になるという過程があります。
③我という意識が薄くなることです。
或いは第7意識、魂ともいうものを安定させて、薄くして無くすことです。

瞑想していない時
無我という意味は物事にあまり執着しないので、あまり悩みがありません。
悩みがないとういう状態を別の言葉で説明すると穏やかで、落ち着いている楽な気持ちの事です。
上の禅悦での練習していない時の気持ちと同じです。

以上で「禅悦」と「無我」を、体験から説明しました。
皆さんも体験してみて下さい。

104.瞑想中の空と有

瞑想は心身を共に整える事により、体が元気になり、心が楽しくなる修業です。
瞑想のプロセスを空と有の関係で説明する事も出来ます。

一. 有①から空①へ (瞑想の第一段階は有①から空①に入ります)
ここの
有①は、世間の事物の事です。
空①は、外部の事物の刺激を遮断した後、朦朧・夢うつつの気功態です。
有①から空①と言うのは、意識が事物から離れて、気功態に入ることです。

その時の空①は、世間の事物の刺激があまり無く、でも体内の気や光などの微妙な感覚が現れます。
その微妙な感覚をここでは有②といいます。
第一段階は有①から空①に入ることです。

二. 有②から空②へ (瞑想の第二段階は有②から空②に入ります)
ここの
有②は、気功態のもとに現れた体内の微妙な感覚の事です。
例えば、しびれや膨張や痒み、冷暖重軽気光等の感覚で、奇景八触は以上の感覚の総称です。
空②は、各微妙な感覚があまり変化しない安定した状態です。
第二段階は有②から空②に入ることです。

三. 有③から空③へ (瞑想の第三段階は有③から空③に入ります)
空②になった時は、各感覚が余り変化なく安定していますが、でも感覚はあります。
その感覚は有③と言います。
有③は、気が満杯になって、すべて明るいという感覚の状態です。
空③は、穏やかで落ち着いた良い気持ちです。
第三段階は有③~空③に入ることです。

四. 空③と有① (瞑想の第四段階は空③と有①の融合になります)
空③は、穏やかで落ち着いた良い気持ちです。
有①は、世間の事物の事です。
瞑想の第四段階は、わざわざ足を組む瞑想をしないで、普通の生活の中で穏やかな気持ちで事物と接触し融合します。
穏やかな気持ちで仕事と生活を行います。
世間のありのままの自然態と美しい感覚を享受します。

以上は瞑想のプロセスを空と有の関係で説明しました。
実際に練習する時は、色々な細かい具体的な感覚と問題が浮かんで来ると思いますが、大まかな練習の方向と経路を示しました。
ご参考にして頂ければ幸いです。

日本禅密気功:http://zenmitsukikou.a.la9.jp/

103.心の底

心の底はいつも穏やかな気持ちという曖昧な言葉で表現していましたが、今回、心の底とはどのような状態で、どうやって心の底に行くか、と言う事を詳しく述べたいと思います。

今までいつも「心の底」を以下のように説明してきました。

例えば、プレッシャーのある仕事を1,2週間、ずっと夜中までしてきて、それが完成した後、リゾート地に行ってぐっすり寝て、さらに二度寝をした後、ベランダから山や森を見るとほっとするような爽やかな気持ち。
或いは、夜、青い月夜の下、池の側を散歩する時のホッとする、落ち着くような気持。
教室で練習した後に、穏やかになっている良い気持、等と説明してきました。

昔の修行者の達人達(密教系無上ヨガ)は、上記のような気持からさらに四つの段階に分けて訓練しました。この四つの段階を簡単に紹介したいと思います。

1.専一ヨガ 
  基本的にこの段階では穏やかな気持ちを見守っていくこと。
  見守っていくとそれなりの微妙な感覚がでてきます。
  非常に穏やかで落ち着く。光、景色がはっきり見えます。
  空間と時間の感覚が薄くなる、自分の存在感が無限の光にとかされている・・・
2.離戯ヨガ
  この段階になると自分の感情が周りの環境と離れて、サングラスをかけて物事を見るとか、隠れて物事を見るとか、観光客のような気持になって物事に接する・・・
3.一味ヨガ
  この段階では気持が更に穏やかになって、悩みや喜び等、様々な感情が出てきても、それらは穏やかな気持から発生してきていることが良く分かります。 そうするとこのような感情が発生してもすぐに無くして、穏やかに戻る事が出来ます。
  さらに体験出来ることは、悩みや喜びはあまり根源がなく、大したことでなく、
  穏やかな気持ちとあまり差がない。どんなに感情が揺れても根本的に感じるのは穏やかな気持ちだけです。ですので、一つの味と名付けられています。
4.無修ヨガ
  これは第三段階の気持のもとで修業する段階で、微妙な少ない悩みや邪魔な感情もない、ただ純粋な穏やかな気持ちだけです。
  その段階では心に残った最後の癖や習慣も無くしていきます。この段階では特に修業と言う事はありません。人生総てが修業であり、その状態が、本当の自然のままの状態と言えるでしょう。そして大円満な気持ちとも言えます。
   
以上で簡単に四つの段階を説明しました。そもそもヨガとは瞑想の別の名称で、同じものです。

102. 三つのポイントで気功(瞑想)の練習を評価する

気功(瞑想)には神秘で不思議なイメージがあります。
練習すると偏差が起きるのでは、という恐れをもっている初心者も結構います。
練習が正しい道に進んでいるかいないかが分からず、迷う恐れがあると思いますが、
ここで練習の効果を確かめる為の三つのポイントをお話ししましょう。

1.練習する時、体の中の感覚や変化を追求します。
2.練習後、体質や精神状態が改善されている事。
3.心身の健康の為の練習であると言う事を常に目標とする。

1.について
良い功法を選んで練習すると、それなりの内在的な感覚や体験が練習により出てきます。
逆に、練習しても感覚が無かったり、曖昧で有る場合は、その功法か、あるいは自分の練習のやり方に何か問題があるでしょう。
現在では、情報がオープンになっている時代ですから、様々な流派のポイントを組み合わせて、功法を作る事が出来ます。
そうすると中身が無い恐れがあります。
良い功法は、大勢の人や先人達の練習を通して得られた豊富な経験が積み上げられたものです。表面的に功法が簡単でも、練習すればするほど、中身の体験が沢山でてくるでしょう。

2.について
1度の練習だけでも、体の変化がある事を確かめて下さい。
3カ月から半年以上練習すれば、体質の改善や精神状態が改善されている事をチェックして下さい。
昔は100日間で基礎を築く(「百日築基」)といいました。
およそ3カ月、毎日練習すれば、体質が改善されるということです。
練習する時、いくら豊富な感覚が出て来ても、必ず体質改善するとは言えません。
それは練習の強弱(火加減という)と関係があります。
常にこの効果をチェックしながら練習して下さい。

3.について
ほとんどの皆さんは心身の健康のために練習に来ていると思いますが、練習をしている間に、神秘的な事にはまり、最初の目的を忘れてしまうことが結構あります。
ですから心身の健康という目標から外れないように常に確認しながら練習して下さい。

以上の3つのポイントで練習の効果を確かめて下さい。

101.気功的な生き方

気功を常に練習して、気功の良さが身に着くと、これにあわせた生き方ができるようになります。
老子の言葉で言うと、
「故常無,欲以觀其妙」
 <常に無という状態を通して、宇宙の美妙(妙な美しさ)を見る。>
「常有,欲以觀其徼」
 <常に有と言う状態を通して、万事万物の美妙な変化を見ます。>
となります。

常に無いと言う状態は、五塵「色・声・香・味・触」を受けないことで、気功態になる事です。
常に有りと言う状態は、万事万物と接する事です。

気功を常に練習する人は、二つの状態になっています。
外部の刺激を受けない気功態と、万事万物と接する社会人としての普通の状態です。
気功態の時は、何も感じないのではなく、微妙な良い感覚(空に浮かんでいるような感覚)を探して見つけ、維持しています。
普通の状態では、万事万物と接する時、物事の変化、流れ(因果関係など)に意識を集中しています。
別の言い方をすれば、視野を広げ、物事にこだわらず、執着しないで、寛容と慈愛の気持を持つ事です。

気功態と普通の状態は、表裏一体で、同じ気持から発生しています。
1.落ち着いて穏やかな気持ちで気功態に入り、落ち着いて穏やかな気持ちで物事と接する事です。

2.常に気功態になると、物事と接すると、より物事の変化と流れがよめるようになります。
 同様に、常に寛容、慈愛の気持で物事に接すると、より深く良い瞑想(気功態)ができます。

3.気功態と普通の状態は、本質からみると区別がありません。
 いつでも気功態になって、いつでも優しい慈愛の気持を持っています。
 物事と接する時、気功態をはずせないし、気功態になっても、物事を接する事ができます。 
 一体になって、区別が無いことです。

気功を常に練習する人は、以上の二つの状態で人生を生きています。

社会は変化していますから、何かの原因で上記の状態から外れる事もありますが、練習を通して、戻りましょう。

100.老子の「道徳経」の第一章の解説と説明

道可道、非常道。
<道は説明すると、本当の道と違ってしまいます。>
名可名、非常名。
<事物に名称を加えると、事物の本質と違ってしまいます。>
無,名天地之始、
<無いは、天地の始まりです。>
有,名萬物之母。
<有は、万事万物の母親です。>
故常無,欲以觀其妙、
<ですから常に無という気持を通して、宇宙の美妙(妙な美しさ)を見る。>
常有,欲以觀其徼。
<常に有と言う気持を通して、万事万物の美妙な変化を見ます。>
此兩者同出而異名。同謂之玄。
<無と有の両者は、名前は違いますが、玄妙(微妙)という名前の同じ物(紙一枚の両面)から出ています。>
玄之又玄、衆妙之門。
<玄妙の中に玄妙があり、これはすべて玄妙の門(源流、原点)です。>

説明:
瞑想の立場からみると、
ここの「故常無,欲以觀其妙」は、常に瞑想を通して、気功態になるときの微妙な良い気持を見守る事です。
ここの「常有,欲以觀其徼」は、万事万物の変化の規則(因果関係など)を見る事です。
ここの「此兩者同出而異名。同謂之玄」は、無と有のバランスをよくとり、混ぜて生きていくことです。
どちらか一つではバランスがくずれてしまいます。
ここの「玄之又玄、衆妙之門」は、常にバランスをよくとり、宇宙の本体(源流)と一体になりましょうということです。

朱剛気功話が100回目になり、記念に老子の「道徳経」の第一章を気功・瞑想の立場で説明しました。

99.気の瞑想法のまとめ

気功態に入ると、外部社会の感覚(視覚・聴覚など)があまり無くなると同時に体内の色々な微妙な感覚が浮かんできます。
その時、微妙な感覚のどれかを見守っていくと、その感覚が強くなって広がります。
私たちは気の感覚に集中していくので、気の感覚が満杯になります。
朱剛気功話95.から98.で気の瞑想について説明してきましたが、今回はまとめます。

1.体全体が有るような無いような、風船のような、気泡のようになります
 身体の存在感が有るようで無いような感覚になるのは、色々な原因により起こります。
 例えば映画を夢中で視ていると自分の存在を忘れたり、また、物事を考えていて夢中になると自分の事を忘れていたり・・
 また寝てしまうと体の感覚は無くなります。
 でもここで強調したいのは、気の感覚が広がると同時に身体の存在感が無くなると言う事です。
 その時、身体の存在感が有るようで無いようになるだけでなく、全体の社会も有るようで無いような感じになります。

2.疾病の改善や完治、体質の改善
 病気になる大きな原因の一つは、長年の間、身心ともに緊張を続けて維持している状態です。
 気の瞑想法を行うと、つまり気の練習のプロセスを展開していくと、身心ともにリラックスする状態になります。
 気の瞑想法を練習すればするほど身心ともにリラックスします。
 気の感覚が充実するという事は、全身の毛細血管が開き、細胞の活動が活発になり、微循環が良くなります。
 瞑想はすべての病気を治せるということではないですが、瞑想で病気が無くなると言う不思議な実例が昔から今まで沢山
 あります。その細かい原因については、まだ探索の余地がありますが、でも事実としては否定できないでしょう。
 
   瞑想・座禅は宗教の修業には大事なことです。仏教・道教両方共に座禅を通して、病気を治し、体質を改善する効果が有る
 のは良く分かりますが、宗教の教義が原因で、あまり宣伝しないか強調しないということもあります。
   昔、気功が流行った時に座禅で元気になることが宣伝されましたが、言いすぎてオーバーになることもありました。
   瞑想・座禅で身体が良くなることは、科学界も認めていますが、でも深い研究にはまだ至っていません。
   中国でも日本でも、高齢化社会になっていますので、座禅で身体を養うことが重要になるでしょう。

3.気持の柔軟性、善良、柔和、寛容
 身体と心はお互いに影響しあっています。体がリラックスすると気持も楽になります。
 気の感覚を意守(見守る)すると、心も身体も楽になります。
 心が楽になると物事への感覚が変わります。
 緊張している時は意識していない道端の草や樹木が活き活きして美しく感じられ、動物や昆虫までも可愛らしく感じられます。
 同情心も増して他人の立場や考え方も理解できるようになります。
 善の気持が出て来ると、良い循環になり、良い友がますます増えてきます。

 
4.人生観の変化
 健康になるかどうかの基準で物事を考えるようになります。
 瞑想・座禅には智慧という言葉があります。
 この智慧は、豊富な知識と言う意味ではなく、穏やかな気持ちで物事を見ると言う意味です。
 体が有る限り欲求があります。歳を経る毎にこの欲求は大きくなり強くなります。
 物事を見る時、強い欲求に影響され、執着心が増し、苦しくなります。
 智慧は瞑想を通して養われ、執着心が薄くなり、穏やかな気持ちで物事を考えられるようになります。
 ですから、瞑想すると良い人生観・世界観になります。

 
5.動態:安定と不足
 気の瞑想が良くできた時に身体の存在感が薄くなり気泡のようになります。
 その現象は一時的ではなく、暫くの間安定して持続しています。
 その間に気の感覚が余り無いとか、気持が揺れて動揺する事もありますが、全体的には以上の状態は安定しています。
 人は日々生きていて世界もまた変わっているので、気の瞑想の状態も動いています。
 表面的には喜怒哀楽による乱れがあり、意識も散漫になることもありますが、根本的には気持が穏やかになり落ち着いて
 います。
 ただこの段階の安定力は足りないところもあり、外部の刺激軋轢が強い時は、安定した状態がこわれて前の状態に戻って
 しまうこともあります。また、安定力の深さが足りないところもあります。
 心の中のマイナスエネルギーは、かなり消されていますが心の中の深い所にはまだ少し残っています。
 つまり、潜在意識の中にマイナスの思想や感情や心理的な疾病の根本が残っています。
 ですから次の段階・光の瞑想が必要になります。

以上で気の瞑想の段階のポイントをまとめて説明しました。参考にして頂けると幸いです。

98.八触に合わせた精神の変化

八触の状態を見守っていくと、性格、感情など精神状態が変わってきます。
この変化をまとめて「十功徳」と言います。
つまり「空、明、定、智、善心、柔軟、喜、楽、解脱、境界相応」です。
「十功徳」について、天台宗の祖師智者大師の「摩訶止観」第九巻に説明がありますが、
ここでは私の体験と考え方を合わせて説明していきます。
「空」:この空は物理的な感覚の空ではなく、意識と感情の空です。単純思考と純粋な気持ちのことです。
「明」:明るくさわやかな気持ちの事です。
「定」:穏やかで安定した落ち着いた精神状態です。
「智」:修業の方向性や人生観について迷いがない状態です。
   智は、物事を見る時に自分の見方が樹立していて、 自分の穏やかな気持ちにプラスになるかマイナス
       になるかと言う基準で対応します。
「善心」:人間が本来自然に持っている善の気持。
   人間はもともと慈愛や優しさなどの良い気持を持っています。
   孟子の言う「子供が井戸の側で遊ぶと誰も皆心配します」という気持。  
   瞑想すると心がもっと純粋になり優しくなります。蟻を見ても可愛く感じられます。
「柔軟」:練習すると欲望に対する執着心が少なくなり、視野や度量が広くなり、物事に対する柔軟性が出て
       きます。包容力が増してきます。これは丁度中国伝統の中庸思想と繋がります。
「喜」:世の中の物事に対する損得の気持ちが少なくなり、かわりに瞑想する時の穏やかな良い気持を強く感
       じます。
「楽」:気が発生すると体が楽になります。
「解脱」:我の意識が薄くなると、邪魔な感情が減少し身心ともに解脱される感じになります。
   例えば、喜怒哀楽の波のように動く感情や、名誉や利益のための活動などが瞑想により少なくなります。
   かわりに穏やかな良い気持が浸透してきます。
「境界相応」:以上の身心ともに良い変化を見守り、安定している状態です。

  
瞑想は、生理(体)と心理(心)の変化を同時に追求する事です。
30年前に気功が流行っていた時、懸命に練習する人は多いのですが、でも生理的な気の変化だけを重視する事
が多かったようです。
現在も再び瞑想が流行ってきていますが、でも気など生理的な変化はあまり追求せず、人格や道徳の事だけを
強調しています。これもまた誤りです。

およそ25年前に上海の呉先生は、「修業したら思う事や言語や行動もそのレベルになる」と言いました。
瞑想は体内の変化と気持の変化が一致しています。瞑想すればするほど優しくなり、落ち着きます。
「十功徳」はその事を細かく説明しています。
ご参考になれば幸いです。 

97.「八触」の対応

瞑想する時「動」「痒」「軽」「重」「涼」「暖」「粗」「滑」など、八種類の感触が出る事は大変良い事で 瞑想が深まって体質が改善しているという事です。でも、具体的に感覚により区別して対応する事が大切です。
例えば
「動」:体が大きく揺れて、極端になると止められないようになる現象
身体の中の気の動きにより、体が少しだけ揺れるのは良いのですが、大幅に激しく動くのは意識が内気に集中するからで、肉体に集中しているからで、一時的に動きは動功の補充としてはいいのですが、これを通して深い瞑想をすることはできないです。
この動きは、潜在意識で身体を動かしているので、感覚としては勝手に動いています。
その原因が分からないから、沢山の修行者が勝手に想像して執着してしまいます。
体が大きく動く時、実は内気は無くなってしまいます。ですから深く瞑想する為に身体はあまり動かさないようにコントロールして、少しの微動があっても無視して続けて内気を意識して集中する事です。
「痒」:表面の皮膚に蟻が走っている様な感じや、一か所か全身に掻痒があるとか、心が痒みを感じる様な落ち着かない状態など
・蟻が走っている様な感じの原因は、毛細血管が開いている為です。痒みが無くなると、皮膚がつるつる艶艶になります。痒みを我慢できない時は、掻かずに軽く叩くようにします。掻くと、気の流れが無くなります。
・一か所か全身に掻痒:極端になると潰瘍になります。これは気が皮膚の病層を通る反応です。あるいは内部の毒素を外に出している反応です。
・心が痒みを感じる:焦燥感が浮かんで発散していることが原因です。その時、我慢して続けて練習することが大事です。でも我慢できない時は動功でその感覚を抑えます。根本的には瞑想の良い気持でこの感覚を抑えて無くします。
「軽」:瞑想する時に軽くなる感じは、内気が上昇しているので、共に体が膨張して大きくなる感じがします。体が気泡のようになっているところに入息すると、さらに膨張感がします。これは良い感覚です。でも迷信や色々な想像はしてはいけません。ただ感覚を見守るだけでいいです。
「重」:これは反対に入息時に重いものに圧迫されて、同時に体が小さくなる感じです。
感覚が強くなると、背骨が圧迫され、真っ直ぐに伸ばせなくなります。その時は、暫く瞑想をやめて、身体を伸ばします。
「涼」:涼しい感覚は、腎臓の気が強化されることで、いいことですが、過ぎると寒く感じます。場合により氷のように感じます。これ腎臓が弱いのが原因です。
その時、丹田に暖かい気の塊があるようにイメージし、さらに定印を結びます。そうすると腎臓の機能が強くなります。
「暖」:暖かい感覚は健康に良いのですが、過ぎると焦燥感のように、焦って落ち着かない気持が強いのが原因です。ですから、気の感覚をきちんと掴み見守っていくと同時に時々動功も行います。 
  
「粗」:瞑想する時、一時的に皮膚がサメ肌のようにざらざらしている感じもあります。それは皮膚が弱いと、ストレスを発散する時の反応とも言えるでしょう。上記の「暖」と同じように対応すると良いでしょう。
「滑」:練習の良い結果です。

この「八触」後、針に刺されている様な感じや痙攣している様な感じがあります。それは気が弱い所に通っている反応です。そのような感覚があっても続けて見守っていれば無くなります。たまに練習する時、光や映像や空・無などの感覚が出てきますが、無視する方がいいです。「八触」の感覚が全部発生して体に気が満杯になっていたら光や映像に意識を集中する方がいいです。 そうではなく、安定力が弱いうちに光や映像に意識を集中すると色々な発想が出て来て、脳神経が再び緊張する可能性が高いです。  

以上は「八触」の感覚が出る時の対応法を簡単に説明しました。参考にして頂ければ幸いです。

96.「八触」発生の原因

「八触」発生の原因は、体内の緊張感が緩和され、気血の廻りが良くなり、毛細血管・細胞等の微循環が活発になることにあります。
その感覚について以下に説明します。

動く感覚:身体の内層がリラックスした後、外層のバランスを整えることが原因で感じられる感覚です。

             瞑想の状態でその感覚が強化されます。

痒い感覚:表面の皮膚のところの毛細血管が開き、感じる感覚です。

              一般的には、顔が先に痒くなり、後は全身に広がっていきます。

軽い感覚:気の感覚は、身体の中の緊張感が下から上に緩和されるので、

              気が上がるように感じられるため、身体が軽く感じられます。

重い感覚:肩こりや、首筋のこり等の症状が、気の動きにより、さらに強く感じられることが原因です。

涼しい感覚:腎臓の機能が強化され、全身の水の廻りが良くなることが原因です。

暖かい感覚:気功態になり全身がリラックスした後、気血の廻りが良くなり、血流が改善されることが原因です。

粗い感覚:皮膚の表面が粗くなる原因は、体内の毒素が皮膚表面から出ていくことが原因です。
       身体が硬くなる(身体が緊張する)のは、リラックスへの過程です。

             練習はリラックスへの道のりですが、でも波があります。

滑らかな感覚:粗い感覚の良い結果です。

針に刺される様な感覚も時には出てきます。これは、気が痛い所(以前に痛みの有ったところ)を通る時の感じです。

弱い痙攣の感覚は、局部の緊張がリラックスする時の感覚です。

軽い電気が走るような感覚は、リラックスする時の神経に刺激が当たった感覚です。

大きくなる感覚は、身体の中から外側にリラックスしていくことが原因です。

小さくなる感覚は、肩こりなどの感覚が練習中に強化され強く感じられることが原因です。

その他の感覚、たとえば空や無の感覚、光や景色が見えるような感覚などはなるべく無視して下さい。
これらの感覚の原因は追って説明します。

95. 気の感覚ーー「八触」

「八触」というのは、気が発生する時に感じられる八種類の感覚です。
瞑想で「持身法」の感覚がでてきたら、それを続けて見守っていくと体内に気が動くような感覚があって、
身体があるようでないような感覚になって、それを続けていくと「八触」という感覚が出てきます。

この八種類の感覚は「動」「痒」「軽」「重」「涼」「暖」「粗」「滑」です。
「動」は体内の気の動きの事です。
  この感覚が起きる時は肉体があるようでないようになっているので、気の動きも雲、煙、波のように動いています。
  この「動」は先ず局部から後は全身に広がっていきます。
「痒」は、皮膚の表面に蟻が走っている様な感覚です。場合によっては心まで痒いようになります。
「軽」は、身体が気泡のように膨らんで、体重がないように感じます。
「重」は、身体が山を背負っているように、圧迫される感覚です。
「涼」は、全身が心地よい水中にあって、涼しく感じます。
「暖」は、体内に暖かい感覚が局部から全身に広がる感じです。
  強く感じると、汗が出るくらいです。でもずっと気持は良いです。
「粗」は、一つは皮膚の表面がざらざらになるような感じです。
  もう一つは身体が硬直する感じです。
「滑」は、「粗」と反対で、一つの意味は皮膚の表面がすべすべとした感じです。
  もう一つは身体が柔らかくなる感じです。

「八触」というのは、上記のように大まかに八種類に分けた感覚以外にも感じるものもあります。
例えば、痙攣や、身体が大きくなったり小さくなるような感覚、身体が無くなるような感覚、光や物体が見えるような感覚等です。

気が発生すると以上のような感覚が出てきますので、参考にして下さい。

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